創建年− | 不詳 |
祭 神− | 主祭神:彦火明命。相殿:豊受大神(御饌津神)・天照大神・海神・天水分神。 |
格 式− | 式内社(名神大)・丹後国一宮・旧国幣中社・別表神社 |
文化財− | 海部氏系図(附:海部氏勘注系図、平安時代初期の書写、日本最古の系図、国宝)
木造扁額(室町時代、貞元元年、藤原佐理卿筆「籠之大明神」、国指定重要文化財)
石造狛犬(1対、鎌倉時代、豪傑岩見重太郎伝説、国指定重要文化財)
丹後国府中籠神社経塚出土品(銅経筒2口、菊花双雀鏡、線刻如来鏡像、国指定重要文化財)
本殿(附:棟札3枚、弘化2年、三間社神明造、桧皮葺、桁行3間、梁間2間、京都府指定文化財)
摂社真名井神社本殿(附:拝所1棟、棟札3枚、末社恵比寿神社本殿、京都府指定文化財)
籠神社文書(附:慶長七年丹後国検地帳19冊、鎌倉時代から江戸時代、京都府指定文化財)
籠神社経塚出土品(鎌倉、銅経筒、銅経筒、銅鏡、金銅如来立像、陶聖外容器、土師製筒、京都府指定文化財)
籠神社の祭礼芸能(葵祭:4月24日に奉納、京都府指定無形民俗文化財)
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神 事− | 葵祭:4月24日 |
場 所− | 京都府宮津市字大垣 |
備 考− | 籠神社が何時頃から祀られているのかは判りませんが、現在摂社である真名井神社の境内地に鎮座し豊受大神が主祭神で匏宮と呼ばれていたようです。延暦23年(804)に成立した「止由気宮儀式帳(伊勢神宮外宮社伝)」によると、雄略天皇21年(477)に天皇の霊夢に伊勢神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)の祭神である天照大御神の化身が立ち「自分1人で食事するのはどうもにも味気ない。丹波国に鎮座する等由気大神(豊受大御神)を呼び寄せ、一緒に食事がしたいものだ。」と告げ、天皇は早速この神託に従い、翌年の雄略天皇22年(478)には社殿を造営し等由気大神(豊受大御神)を勧請して伊勢神宮外宮が創建されたと記載されています。ここで記載されている等由気大神(豊受大御神)が籠神社の事とされ、又、一説には伊勢神宮が創建される以前に4年間当地に天照大神が祀られていた元伊勢の「吉佐宮」という説もあります。白鳳11年(671)、彦火明命が籠に乗って雪の中に出現したという故事に倣い「籠宮」に社号を改め、神官だった海部氏の祖神である彦火明命が主祭神として祀られるようになり養老3年(719)に現在地に遷座しています。格式が高く「続日本後紀」によると嘉祥2年(849)2月25日に従五位下、「日本三代実録」によると貞観6年(864)12月21日に正五位下、貞観13年(871)6月8日に従四位下、元慶元年(877)12月14日に従四以上に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載されました。丹後国府に近く、丹後国の最高位にあたる為、丹後国一宮とされ国事の祭祀を司る立場として歴代国守や守護、領主から崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の造営が行われ社運も隆盛しましたが江戸時代に入ると衰微しています。 |