元伊勢籠神社(宮津市)概要: 元伊勢籠神社の創建は不詳ですが、 当初は現在の真名井神社の境内地に鎮座し豊受大神を祀っていていたと伝えられています。祟神天皇の御代(紀元前97〜紀元前29年)、大和国笠縫邑に祀られていた天照大神の御霊が当社の境内に吉佐宮として遷されました。その後、垂仁天皇の御代(紀元前29〜紀元後70年)に天照大神が、雄略天皇の御代(456〜476年)には豊受大神がそれぞれ伊勢に遷りました。その後、彦火明命が籠船に乗って海神の宮に渡った故事から彦火明命を主祭として祀り、社号を籠宮と改め養老3年(719)には現在地に遷座したと伝えらています。
古くから元伊勢の社として格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社として記載され丹後国の一之宮として丹後国の祭祀では中心的な役割を持っていました。代々神官を務めたきた海部氏は彦火明命を祖と伝えられる社家として知られ、その家系図は平安時代初期に書写された、現存する日本最古の家系図として大変貴重なことから国宝に指定されています。
神門の前に安置され鎌倉時代に製作されたと推定される狛犬(国指定重要文化財)は案内板によると「 伝承によると、作者の一心で魂の入った狛犬が、天正年中不意に天橋立の松林に出現して、元伊勢詣りの参拝者や通行人を驚かした。隅々親の仇討ちにひそんでいた岩見重太郎が之れを聞いて鎮霊を決意し、一夜待ち構えて音の方向に剛刀を一閃したところ、石の狛犬の前足が切れて出現が止んだと伝う。以来社前に還座して専ら魔除の霊験が聞こえたと伝えられる。他所と違い、胴と脚がどっしりして、日本化された狛犬の最大傑作と伝われる。」とあります。
本殿は弘化2年(1845)に造替されたもので、切妻、平入、檜皮葺、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造白木板張り、棟梁は宮津出身の富田作久造、江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から真名井神社本殿と共に京都府指定文化財に指定されています(形態は伊勢神宮と類似点が多く神明造、当時は33年毎に式年造替が行われていたという。)。
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