天橋立(日本三景)概要: 丹後国風土記によると、天橋立は当初、天浮橋と呼ばれ天界と地上を繋ぐ梯子の役目を持っていました。天界にいるイザナギ命が、地上に住む妻イザナミの命をあう度に天浮橋を利用していましたが、ある時誤って浮橋を倒してしまい天界と地上を行き来する事が出来なくなったと云われています。
天橋立は古くから名勝、奇勝であると共に信仰の対象にもなり、周囲には成相寺や丹後国分寺、智恩寺、丹後一宮籠神社(元伊勢)など古社や古刹が集中しています。
文人墨客も数多く訪れていて百人一首では小式部内侍が「大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」と詠い、和泉式部は「橋立の松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」や 「神の代に 神の通いし 道なれや 雲井に続く 天橋立」の歌を残しています。江戸時代では与謝野蕪村が「はし立や松は月日のこぼれ種」の句を残し現代でも与謝野晶子が「人おして廻旋橋の開くとき 黒雲動く天橋立」の歌を詠んでいます。
又、室町時代後期には雪舟により天橋立の鳥瞰画が描かれていて「天橋立図」は国宝に指定されています。元禄2年(1689)には貝原益軒が「己巳紀行」を発刊し、天橋立は松島、宮島と並び日本三景の1つとして評したことから全国の民衆にも知れ渡ることになりました。
特に天橋立の展望が良い場所は天橋立四大観と称して飛龍観・股のぞき観(斜め一文字)・一字観・雪舟観とされています。国特別名勝。若狭湾国定公園。丹後天橋立大江山国定公園。
天橋立:上空画像
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