与謝野町: 倭文神社

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概要・歴史・観光・見所
倭文神社(与謝野町)概要: 倭文神社の創建は和銅3年(710)に筬村にある石崎の山に倭文大神が勧請されたのが始まりとされます。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている古社で、天禄12年(981)には従二位に列し、鎌倉時代前期の貞応2年(1223)に現在地に遷座、古くから三河内の産土神として信仰されてきました。境内には石崎古墳と呼ばれる円墳一号(高4m、長径15m)、円墳二号(高2.5m、長径10m)、円墳三号(高2m、長径7m)、前方後円墳(全長60m)の4基の古墳が点在し倭文神社と関係が深いのかも知れません。古くから神仏習合し「石崎大明神」、「石崎倭文大明神」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を「倭文神社」に改称、明治6年(1873)に村社、昭和19年(1944)に府社に列し、明治40年(1907)に幣帛供進神社に指定されています。

現在の倭文神社本殿は文政4年(1821)に建てられたもので一間社、入母屋造、銅板葺、正面1間軒唐破風向拝付、彫刻や組物など繊細で江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重なことから平成8年(1996)に京都府指定文化財に指定されています。神門(神社山門)は切妻、桟瓦葺、平入、三間一戸、八脚単層門。拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付。又、境内全体が倭文神社文化財環境保全地区に、三河内曳山祭(毎年5月3・4日)は別称で丹後の祇園祭りとも言われる雅な神事で京都府無形民俗文化財に指定されています。祭りが始まる際には対となる須代神社に向ってオーイ・オーイ・オーイと三回叫ぶ事でも知られ、須代神社の祭神である須勢理媛と倭文神社の祭神である天羽槌雄神が夫婦で、例祭時だけは当社で2神が一緒に過す事が出来るそうです。祭神:天羽槌雄神(織物を始めた祖神、織物の守護神)。

倭文神社:写真

倭文神社
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