美山町北(歴史)概要: 美山町北集落は中世には丹波国弓削荘に江戸時代は篠山藩に属し、京都と小浜を結ぶ若狭街道(鯖街道)沿いの集落として多く往来の人々を受け入れてきました。
住宅は内陸部と日本海側の両方から影響を受けた独特のもので特に「北山型民家」と呼ばれています。大きな特徴は丈の高い入母屋造、千木のような交叉させた木(神社建築で見られる)、外壁は板壁と板戸で構成、土間が狭い、棟木の筋で部屋分けなどが見られます。
美山町北集落は50戸の家屋で集落を形成し、その内38棟が茅葺屋根(4棟は鉄板覆い)の建築で、1つの集落での茅葺屋根建築の数では白川郷萩町(岐阜県白川村)、大内宿(福島県下郷町)に次ぐ全国3位を誇ります(残存率は全国一位)。美山町北集落は平地部を水田や畑で利用し家屋は石垣で造成した傾斜地に建てられた為、麓から見上げると茅葺屋根が折り重なって見え独特な景観が造りだされています。
美山町北集落内での住宅では寛政8年(1796)が最古ですが江戸時代に建てられものが18戸と非常に多く当時の山村集落の形態が非常によく残っている大変貴重な存在で平成5年に周囲の水田と山林を含む集落全体127.5ヘクタールが、重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
美山町北:上空画像
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