亀岡市(歴史)概要: 亀岡市は古くから開発された地域で、古代には丹波国府が設置され(亀岡市千代川町拝田が国府推定地の1つ)、国分寺や国分尼寺、丹波一宮とされる出雲大神宮、亀岡盆地最大の千歳車塚古墳などが点在しています。又、出雲大神宮は島根県の出雲大社の元宮、愛宕神社は京都の愛宕神社の元宮との言い伝えが残っていて興味深い歴史となっています。交通の要衝である所から軍事的にも重要視され戦国時代には明智光秀が亀山城を築き丹波侵攻の拠点とし、本能寺の変の際はここを出立し信長の宿所である本能寺に出立しています。江戸時代に入ると徳川方と豊臣方の対立から亀山城が重要視され天下普請による大改修が行われ大坂城包囲網の一翼を担いました。亀山藩は交通の要衝で京都に隣接していたところから石高は低いものの譜代大名が歴任し当初は前田家(戦国時代末期に亀山城主となった前田玄以は豊臣秀吉の家臣で外様大名でしたが、関ヶ原の戦いで東軍に内通していた為、所領が安堵されましたが、2代茂勝はすぐさま八上藩に移封となりキリシタンや統治能力を問われ改易になっています。)、岡部家、松平(大給)家、菅沼家、久世家、井上家、青山家と比較的短期間で藩主が交代していましたが寛延元年(1748)に松平信岑が篠山藩から5万で入封するとようやく安定し形原松平家が8代藩主を世襲して明治維新を迎えています。当時の地名は亀山でしたが明治2年に現在の三重県に同じく亀山藩が存在していた為、当地を亀岡に改称しています。
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