丹波国分寺(亀岡市)概要: 丹波国分寺の創建は不詳ですが天平13年(741)、聖武天皇の勅願により名僧として知られる行基菩薩が各国一寺づつ設けた国分寺とされます。周辺には国府推定地や一宮とされる出雲大神宮、国分尼寺跡などが点在し当時の丹波国の政治、文化の中心地として繁栄しました。
境内は大凡2町(218m)四方で内部には金堂、講堂、中門、廻廊、僧房、七重塔などの跡が確認され、中でも七重塔跡は24m4方の土盛の上部に17個の礎石が残り威容を伝えています。当時は丹波国の中心寺院として大きな影響力を持っていましたが平安時代末期には衰退したとされ、その後は規模を縮小した後継寺院が名跡を守りました。
戦国時代に入り明智光秀の丹波侵攻の兵火により後継寺院もさらに衰退しましたがその後再興され安永年間(1772〜1780年)には護勇比丘によって境内が整されています。
丹波国分寺の文化財
・ 境内−国指定史跡
・ 薬師如来坐像−平安時代後期−国指定重要文化財
・ 本堂−安永3年−亀岡市指定文化財
・ 山門−安永3年−亀岡市指定文化財
・ 鐘楼−安永3年−亀岡市指定文化財
・ オハツキイチョウ-亀岡の名木・市天然記念物・京都自然200選
丹波国分寺:上空画像
薬医門を簡単に説明した動画
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