出雲大神宮(亀岡市)概要: 出雲大神宮の創建は不詳ですが和銅2年(709)、元明天皇の勅願により社殿が造営され神社としての体裁が整えられました(それ以前は御陰山を御神体として自然崇拝的な祭祀が行われていたと推定されています)。一説には当社の祭神である大国主命の分霊を現在の島根県に勧請し出雲大社が創建したとも云われ、元出雲の別称もあります(出雲大社は明治以前は杵築大社と称していた事や60年毎の式年遷宮の際には出雲大神宮の神火が送られていた事、丹波国風土記に杵築に分霊を遷した事が記された事などを理由としています。その為、分霊を杵築に遷す以前に出雲大神との記述は全て当社の事で、神話での国譲りも当地域で行われたとされます)。
周辺には丹波国府推定地や国分寺、国分尼寺などの史跡が点在している事から当時、丹波国の政治、文化の中心だった事に間違いが無く、当社の背後にある御陰山は神山として古くから信仰の対象になっていたと思われます。
そのような背景から出雲大神宮が創建され丹波国一宮として国の祭祀を取り仕切る立場となり承和12年(845)には従五位下、貞観14年(872)には従四位上、元慶4年(880)には正四位下、延喜10年(910)には正四位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載されており格式の高さを窺えます。
歴代国守や守護、為政者、領主から崇敬庇護されており貞和元年(1345)には足利尊氏が社殿を造営しています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され(神宮寺が廃寺)、本地仏であった十一面観音菩薩像(国指定重要文化財)は極楽寺へ移譲、当社は神社として国幣中社に列しました。
現在の本殿は貞和元年(1345)に再建されたもので三間社流造、檜皮葺、室町時代初期に建てられた神社本殿建築の遺構として大変貴重なことから国指定重要文化財に指定されています。
出雲大神宮の文化財
・ 本殿−貞和元年−国指定重要文化財
・ 木造男神坐像(2躯)−平安時代−国指定重要文化財
・ 上記附:木造男神坐像(1躯)−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 出雲風流花踊(雨乞い神事)−京都府指定無形民俗文化財
・ 出雲神社傍示図並関係文書−亀岡市指定文化財
出雲大神宮:上空画像
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