大円寺(亀岡市)概要: 大円寺の創建は天文22年(1554)、専譽周公上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。13代室町幕府将軍足利義輝が帰依した事で寺運が隆盛し当地域の学問所として多くの学僧が集い影響力を持ちました。
当初は保津川の北側に位置していたそうですが天正6年(1578)に明智光秀が亀山城を築城した前後に穴太道の要衝の現在地に境内を移されました。
小早川秀秋が亀山城主になると天正20年(1592)に城下町にある有力寺院、専念寺、大円寺、寿仙庵、栖隣庵、長徳寺(現在の宗堅寺)を「亀山五ヶ寺」に定め、文禄4年(1595)には弍石の寺領の寄進が行われています。
元禄12年(1699)の火災で多くの堂宇が焼失しましたが宝永7年(1710)に再建され、本堂と山門はその時建てられた建物として威容を誇っています。寺宝である鉄仏薬師如来像は平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたと推定されるもので亀岡市指定文化財に指定されています。この薬師如来像は元々現在の亀岡城の本丸付近に祀られていたそうですが、亀山城の築城に際し追分町の相原家に移され、後に大円寺に奉納されたそうで「亀山薬師」の別称があります。
大円寺:上空画像
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