亀岡市: 穴太寺

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概要・歴史・観光・見所
穴太寺(亀岡市)概要: 穴太寺の創建は慶雲年間(704〜708年)、穴太寺文武天皇の勅願で大伴古麿(大伴旅人の甥)によって開かれたのが始まりと伝えられています。本尊の観世音菩薩像は古くから身代わり観音として広く知られた存在で「今昔物語集」や「扶桑略記」、「本朝法華験記」などに記載されています。それによると、当時の郡司が京都の仏師に観世音菩薩像を造らせましたが、報酬を払うのを惜しくなり、仏師に矢を向け射殺しました。しかし、翌日、仏師が生きているの知り不思議に思っていると観世音菩薩像に矢が刺さっていたそうです。郡司は自らの浅はかさと、仏を射った愚かさから仏門に入り一生、観世音菩薩像を護ったそうです。これらの故事から広く信仰されるようになり鎌倉時代後期には西国三十三観音霊場の二十一番札所に選定され一遍上人も当寺に逗留しました。室町時代に入ると足利将軍家から庇護され寺運も隆盛しますが天正年間(1573〜92)、明智光秀の丹波侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し一時衰退します。17世紀中期頃に行廣が再興し多くの堂宇が再建、境内が整備され再び寺運が隆盛します。本尊の観世音菩薩像が国指定重要文化財に指定されている他、多くの堂宇が再建当時のままの姿を留めており本堂と多宝塔が京都府指定文化財に指定されています。

穴太寺の文化財
・ 観世音菩薩像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 本堂−享保20年−京都府指定文化財
・ 多宝塔−文化元年−京都府指定文化財
・ 穴太寺観音縁起−室町時代−京都府指定文化財
・ 紙本着色穴太寺観音縁起絵巻−江戸時代−京都府指定文化財
・ 庭園−江戸時代中期−京都府指定名勝
・ 仁王門−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 鎮守堂−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 念仏堂−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 鐘楼−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 方丈・庫裏−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 方丈表門−江戸時代−京都府登録有形文化財
・ 木造釈迦涅槃像−鎌倉時代−亀岡市指定文化財

穴太寺:写真

穴太寺
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