京都市右京区(歴史)概要: 古くは山城国の国府に隣接していた地域だった事から比較的早くに開発が進んだ地域です。飛鳥時代には多くの渡来人の拠点となり、中でも漢民族系の渡来人とされる秦氏は自らの氏寺である広隆寺や梅宮大社、木嶋坐天照御魂神社などを開き開発にも尽力したとされます。又、嵐山や小倉山は京都の景勝地として天皇や貴族の離宮や山荘が設けられ歌枕にも歌われました。桂川舟運が開削されると嵯峨には川湊が設置され周辺地域の物資集積場として発展し多くの豪商を輩出するようになります。特に角倉了以は戦国時代末期に現在のベトナムとの朱印船貿易によって莫大な利益を得て大堰川、高瀬川などの開削にも尽力しています。右京区北部地域は若干歴史が異なり、戦国時代には宇津氏の支配下にあり、江戸時代には園部藩、篠山藩の領域になっていました。
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