久美浜町(京丹後市)概要: 平安時代後期、久美浜港周辺は「久美の庄」と呼ばれる荘園で古くから多くの人々が住んでいました。中世に入ると、丹後守護職一色氏の家臣松倉氏が支配し、天正6年(1578)の織田信長による丹後侵攻後は従軍した細川幽斎が支配、久美浜は家臣である松井康之が松倉城の城主となり城下町を整備し、現在の町並みの祖を築きました。
滅ぼされた一色氏の家臣には小西家のように土着し豪商としてその後も大きな影響力を持つようになります。江戸時代に入ると久美浜地は北前船が寄港する久美浜湊を中心に豊岡街道・久美浜街道・湯島街道・網野街道が通じる交通の要衝として飛躍的に発展し、特に本座屋(小西家)、新屋、下屋(小西分家)、木下、五宝の5家の豪商を輩出し五軒家と呼ばれるようになります。
行政的には宮津藩と幕府の天領が目まぐるしく代わり、代官所や陣屋が設けられ、当地方の中心地として確立し、明治時代初頭には久美浜県庁が設置されました。
久美浜町:上空画像
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