吉原山城(京丹後市)概要: 吉原山城は嘉慶2年(1388)、丹後守護職一色詮範が築いたのが始まりとされます。織田信長の丹後侵攻により、新たに領主となった細川興元は天正10年(1582)に城を大改修し、山頂付近にある本丸に御陣屋を設け、新たに市街地を開いて城下町を計画しています。
元和10年(1624)、京極高通が丹後国中郡1万石が分知され旧領である下総・近江3千石を合わせて1万3千石の大名として峰山藩を立藩しましたが、吉原山城は山城だった為、政治、行政を司る藩庁には極めて不便だった為、廃城として麓に陣屋を設けています。
城は標高180mの権現山山頂付近の本丸を中心に西郭、北郭、東郭、善明砦が取り囲みそれに付随して小郭が連なり、主要な郭どうしは堀切により分断され攻め難い構造になっています。現在も郭の形状や堀切、土塁などの遺構が残り、本丸跡には京極氏が祀っていた蔵王権現が建立されています。
吉原山城:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-峰山町教育委員会
・ 現地案内板-京丹後市教育委員会
|
|