龍献寺(京丹後市)概要: 湖秀山龍献寺は京都府京丹後市網野町木津に境内を構えている曹洞宗の寺院です。龍献寺の創建は鎌倉時代の建治2年(1275)、義雲禅師(永平寺5世:福井県永平寺町)が天橋立と成相寺を巡錫の祭、小浜離山(網野町小浜離れ湖)の地を霊地と悟り開いたのが始まりと伝えられています。
江戸時代初期の寛永8年(1631)、当時の宮津藩の藩主である京極高国は当地に別荘を設け「一覧亭」と名付けました。承応2年(1653)、その「一覧亭」で祝宴が行われた際、離山で無作法で採った魚を龍献寺の境内で調理し出した事から住職と藩主とで口論となり、焼き討ちにあい、延宝3年(1675)から天和3年(1683)に現在地に再建されました。
龍献寺山門は文化3年(1806)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門形式、上層部四周には高欄、中央には「湖秀山」の山号額が掲げられています。龍献寺本堂は、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行7間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部の内陣には本尊となる釈迦牟尼如来が安置されています。
丹後西国三十三所第15番札所。山号:湖秀山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼如来。
龍献寺:上空画像
|